1964東京オリンピックから50年を隔てて変化した産業構造の分析
1964年に開催された東京オリンピックから半世紀。2回目のオリンピックが東京で開催されますが、この間、日本経済の産業構造はどのように変化したのでしょうか?
帝国データバンク史料館が保管している『帝国データバンク企業年鑑』を、東京工業大学帝国データバンク先端データ解析共同研究講座の協力を得てデジタル化し、1964年と2015年の東京都に立地する企業を比較・分析してみました。
東京オリンピック前後でどれほど経済成長したのか?
1964年の東京オリンピック前後について調べてみると、1963年から1964年にかけて、総売上高が約3.7兆円も増加し、約10.4万人の新規雇用が生まれていました。また、1964年から1965年にかけては、総売上高が約3.3兆円も増加し、約14.6万人の新規雇用が生まれていることがわかりました。

50年で産業構造はどのように変化したのか?
次に、産業構造の変化を観測するため、東京都にある企業について1964年と2015年の業種構成割合を比較しました。下図の円グラフの通り、1964年には『製造業』と『卸・小売業,飲食店』が全体の8割以上を占めるほどの存在感を示していましたが、50年の移り変わりを経て、『サービス業』が最も多く占めるようになりました。

企業の事業内容を説明した文章を元データとして、ワードクラウド(文章の中でよく出てくる単語を複数選び、その頻度に応じて図示する方法)を作ってみましたが、産業構造の変化は一目瞭然です。

生存企業の特徴は?
さらに、1964年に存在した企業で、2015年も存在が確認できた2,192社を分析してみたところ、生き残った企業は、売上高が大きく増加しても、従業員数に大きな変化はないという特徴がわかりました。

2,192社の成長率(2015年の値/1964年の値)の分布をみてみると、この傾向がわかります。労働生産性を高めるために、企業合併を行ったり不採算事業を削減したりすることを躊躇なく行った柔軟性のある経営手法が、長期的な経営の持続を可能にしたと推測されます。

正社員数も増加させながら売上高を増加し続けることに成功した企業
全体傾向としては、従業員数を維持させながら売上高を拡大してきた企業の生存率が高いことがわかってきましたが、一部例外もあります。配管冷暖房装置等卸を主業とする、長年の業歴を有する中堅上位格の某企業は、売上高を伸ばしつつ、従業員数も増やすことに成功していました。人口減少社会に突入した現在、労働生産性を重要な経営指標として取り上げることが多くなりましたが、ゴーイングコンサーンを実現し、かつ雇用機会を創出することで日本経済に貢献している企業も、これからの日本が大切にしていくべき企業でしょう。

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