レポート

“ネタ消費”されるブランドと“記憶”されるブランド――ミームが分ける明暗

情報統括部 情報統括課
主席研究員 窪田剛士

「ミーム」という言葉は、今ではSNS上のネタ画像や流行フレーズを指す言葉としてすっかり定着しています。しかし、もともとは進化生物学から生まれた、きわめて真面目な概念です。リチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子』[1]の中で、メロディーや流行語、服装、宗教的儀式といった文化の断片も、遺伝子のように「コピーされて増える情報」として進化しているのではないかと考えました。これがミームという発想の出発点です。

インターネット時代になると、このミームは一気に“瞬間風速の文化”へと姿を変えます。SNS上では、出来事を茶化した画像や動画のフォーマットが、数時間単位で世界中に広がっていきます。同じテンプレートに別のテキストを載せることで、ユーザー一人ひとりが共作者となり、派生形を量産していきます。ここで重視されているのは、情報の正確なコピーというより、「どれだけうまく読み替えられるか」という遊びの巧みさとも言えるでしょう。

この視点を企業活動に重ねると、ブランドやスローガンもまた立派なミームであるということが見えてきます。耳に残るキャッチコピーやジングルのほか、ロゴやコーポレートカラー、マスコットキャラクター、店舗でのお約束の一言や演出。いずれも、人の記憶に残り、他人に語られ、時には真似されながら広がっていく「コピーされる情報」です。

ブランドをミームとしてとらえるとき、三つの軸がカギとなってきます。第一に、どれだけ長く生き残るかという時間軸です。キャンペーンが終われば忘れられるのか、それとも十年後にも「あのフレーズと言えばこの会社」と想起されるのか。第二に、どれだけ多くコピーされるかという拡散の軸です。広告の枠内だけにとどまるのか、日常会話やSNSで自然に引用されるのか。第三に、コピーされる際に核となる意味が保たれるかという一貫性の軸です。多少言い回しが変わっても、そのブランドらしさがきちんと受け継がれているかどうかが問われます。

実際のブランドには、価値観・言葉・デザイン・行動という複数のレイヤーのミームが折り重なっています。「挑戦」「安心」といった抽象的な価値観のレイヤー、その価値観を言語化したスローガンのレイヤー、ロゴや色彩、キャラクターといった視覚表現のレイヤー、そして店舗やサービス現場でのふるまいとして体験される行動のレイヤーです。企業が本当に目指したいのは、これらをバラバラに打ち上げ花火のように消費するのではなく、一貫した物語として束ね、自社発の「ブランド・ミーム」として長期的に育てていくことではないでしょうか。

その意味で、インターネット・ミームは諸刃の剣です。話題のフォーマットを借りれば、短期的なエンゲージメントは稼ぎやすいでしょう。しかし、意味の変化に巻き込まれるリスクや、短命な流行と企業の意思決定プロセスとの時間差、パロディ化によるイメージコントロールの難しさ、さらには法務・コンプライアンス面の危険もついて回ります。何より、「ネタとして消費されただけで、ブランドの芯には何も残らなかった」という結果になってしまっては本末転倒です。

重要なのは、他人のミームに振り回されるのではなく、自社発のブランド・ミームを核に据え、その魅力を補強するスパイスとしてインターネット・ミームを活用する姿勢です。人が思わず真似したくなる言葉、つい写真を撮りたくなる体験、ファンが自発的に二次創作したくなるキャラクター。こうした要素を意識的に設計し、時間をかけて積み上げていくことが、“ネタ消費”で終わらない“記憶”されるブランドへの近道と言えるでしょう。


[1] Richard Dawkins, The Selfish Gene, Oxford University Press, 1976(日高敏隆・岸由二・羽田節子・垂水雄二訳、『利己的な遺伝子』<新版>、紀伊国屋書店、1991年)

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