レポートAI時代の情報ネットワークとトランプ関税

2025/06/12
景気動向  コラム  海外

情報統括部 情報統括課
主席研究員 窪田剛士

米トランプ大統領が相互関税を発表してから2カ月あまりが経過し、90日間の上乗せ関税の発動猶予も残り30日を切りました。政府は米国との交渉を続けていますが、現時点(6月12日)ではまだ合意に至っていません。

 トランプショックに端を発した世界経済の不確実性は、当初から比べると少しずつ和らいでいるように見えます。改めて、トランプ政権やトランプ大統領がどのように意思決定を行うのか、その根底にある“情報”に対する思想は何なのか、ということが気になっていました。

 とはいえ、表面に出てくる事象を追っているだけでは見えてきそうにありません。そうしたとき、ユヴァル・ノア・ハラリ著『NEXUS 情報の人類史』[1]をたいへん興味深く読み、多くの学びを得ました。書名のとおり、人類史という長い年月のなかで“情報”はどのような意味を持ち、その役割を果たしてきたのかに焦点を当てた書籍です。

 著者は、これまで『サピエンス全史』『21 Lessons』『ホモ・デウス』において、人類史の過去・現在・未来を描いてきた歴史学者・哲学者として知られており、これらの本を手に取ったことがある方も多いのではないでしょうか。本書『NEXUS』もまた、2025年3月(日本語版)の発売直後から大きな話題を呼びました。

 本書は、石器時代からAI革命までを「情報ネットワーク」の発展史として描き、人類がいかに“情報”を求心力にも破壊装置にもしてきたかを語っています。書名に含まれる“Nexus”は「結合点」「絆」を意味し、人間とAIが編み上げる巨大な情報網の中枢そのものを指す言葉として捉えられています。

 本書では「力は知恵ではない」という印象的な一節とともに、サピエンスが情報を増やしながらも自らの存亡を危うくしている現状が示されます。そして、情報の素朴な見方について、「大規模なネットワークは個人にはとうてい望めないほど多くの情報を集めて処理することで、医学や物理学や経済学をはじめ、数多くの分野の理解を深めることが可能であり、そのおかげでネットワークは強力になるばかりか、賢くもなる」と述べています。この見方によれば、「情報は十分な量があれば真実につながり、その真実がさらに力と知恵の両方につながる」のです。

情報の素朴な見方

しかし、情報は武器化することも可能であり、いわゆるポピュリズム(大衆迎合主義)は情報を武器と見ている、と著者は主張しています。

情報のポピュリスト的な見方

国家も市場も結局はデータ処理装置であり、人類史は情報制御の試行錯誤の連続であった──この視点に立つと、現代政治の“異形”が鮮明に浮かび上がってくるようです。

情報を武器化する権力構造は、写本を独占した中世教会から公共圏を媒介した近代新聞、さらに現代のSNSへと形を変えてきました。SNSでの瞬時の拡散こそが価値となる情報環境では、真偽より速度、専門性より物語の強度が優先されてしまいます。こうした手法は突飛に見えて、実は人類史的に連続しています。トランプ政権のアプローチはAI時代のネットワーク特性――分散・高速・感情駆動――を最大限に活かす新たなフェーズと言えるのかもしれません。

だからこそ、トランプ政権の政策を読み解く際には、関税率や財政赤字だけでなく、情報の配置が社会心理に与える影響についても評価軸に加える必要があるのではないでしょうか。著者が提示する「情報の人類史」の座標軸に各国の権力者の行動原理を重ねることで、ポピュリズムが生む断絶のメカニズムや、AIが後押しする分極化の行方を俯瞰することができるでしょう。情報を収集・分析し、発信する業務を日々送っているなかで、自らを情報人類史の中に位置づけて、自身の“情報”に対する思想・哲学を振り返ることも、“情報”を扱う者として必要なプロセスかもしれません。


[1] ユヴァル・ノア・ハラリ著、『NEXUS 情報の人類史』、河出書房、2025年(原書:Yuval Noah Harari, NEXUS: A Brief History of Information Networks from the Stone Age to AI, 2024)

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