レポートBSE問題で浮き彫りとなった国民軽視の政府判断

2006/02/07
食品  コラム

大和

先月の「主観客観」で、米国産牛肉の輸入再開について述べたが、結局、輸入再開問題は消費者の審判を待つまでもなく、米国と日本政府の自滅によって国民の信頼を失う結果となった。


米国は認識の甘さにより危険部位の混入を容易に許し、日本政府は閣議決定された事前の現地調査を実施せずに再開に踏み切ったことが明らかとなったが、はからずも、政府・行政の判断とは国民を軽視したものである、ということを私たちは再認識させられることとなった。


それを受け、食の安全を守るべき管理体制(システム)への問題提起が報道などで見られるが、問われるべきはそのシステム以上に、システムを作る政府・行政の国民軽視の姿勢である。


彼らの判断基準が、国民へ向いていないところに問題があるのだ。国民の利益を損なうどころか、国民にリスクを背負わせる政府・行政の思考を断じて許してはないらない。


1月以降、道路公団・郵政・政府系金融改革に続く構造改革の目玉として、公務員改革の内容が発表され始めてはいる。


しかし、それは単なる数合わせや経費の削減だけではなく、改革過程で「国民のため」という規範意識をどこまで徹底させ盛り込むことができるのか、が重要なのである。


今後、米国産牛肉が再度、輸入再開となっても、消費者が振り向くことは当分ないだろう。


政府や行政は、「国民のため」という存在目的を自ら問い直して改革につなげ、目に見える形でその責任を果たしていくことが、いま、強く求められている。

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