レポート株式会社ニコニコ堂ほか2社

2002/04/09

TDB企業コード:870028994 熊本県熊本市 大証2部、福証上場の中堅スーパー 民事再生手続き開始を申請 負債1286億円

「熊本」 熊本県の中堅スーパーで大証2部、福証上場の(株)ニコニコ堂(資本金26億6250万円、熊本市武蔵ケ丘1-2-51、代表川村英文氏、従業員727人)は、4月9日に熊本地裁へ民事再生手続き開始を申請した。

 申請代理人は小田修司弁護士(東京都港区赤坂4-7-15、電話03-5562-2511)ほか6名。
 当社は、1950年(昭和25年)にセーター卸商として創業、60年(昭和35年)11月に衣料品小売会社として法人改組した。64年には熊本市下通り地区に別会社で衣料品スーパー「伊勢丹」を開店(その後吸収合併)してスーパーストアに業態を転換、72年には伊勢丹店を改築してパチンコ店とスーパー「ニコニコドー」の複合店とした。75年以降、熊本市を中心に同県下で出店を加速し、85年に系列でスーパー経営の(株)ビッグウエイ、大洋工業(株)を吸収合併、86年にはパチンコ部門を別会社に分離するなどグループ再編を進めていた。

 94年12月には福岡証券取引所に、97年2月には大阪証券取引所2部に上場する一方、国内外で多角化を推進。中国に現地法人13社を設立してホテルや小売・衣料品縫製事業を積極的に展開するとともに、国内でも飲食業やポケットベル事業、産業廃棄物処理、衣料品・食品輸入などの関連会社を次々と設立、ピーク時には24社の関連会社を持つまでに拡大を図っていた。この間94年以降は、佐賀県鳥栖市、福岡県太宰府市など熊本県外にも出店し、97年3月期には過去最高の年売上高約1022億9000万円を計上していた。

 その後は個人消費の不振から売り上げが落ち込み、2000年同期には年売上高も約846億6200万円にまで減少、中国での事業失敗から99年同期には子会社整理損などで約78億3100万円、2000年同期にも約28億5500万円の特別損失を計上していた。このため、2000年に入って経営合理化に着手、2月には林瑞栄社長が退任し、金柿謙治・九州ジャスコ前会長が社長に就任する人事を発表。メーンバンクの福岡シティ銀行から今田賢勇専務を代表取締役会長に迎え入れていたが、5月には金柿氏が体調不良を理由に社長就任人事を撤回、代わりに元ユニード社長でパワーセンター経営のトリアス久山(福岡県久山町)社長の平山敞氏が社長に就任することになった。
 こうしたなか、平山氏が2000年12月に大手スーパーのダイエーの副社長に就任することになり、現代表の友納宏氏が社長に就任した(なお、2002年4月には友納氏から川村氏へ代表が変更している)。24社の関連会社のうち、18社を今後3年間で売却する計画を打ち出す一方、2001年1月にはダイエーと業務提携。さらに、福岡シティ銀行などの取引金融機関に対しては金利減免と優先株引き受けなどを要請し、約60億円の債務超過解消を目指していた。引き続き海外投資の売却交渉を続ける一方、金融機関に対しては約350億円の債権放棄を要請するなど、「私的整理に関するガイドライン」に沿った再建を模索したが、交渉は難航していた。

 なお、関係会社で九州都市開発(株)(資本金7億7100万円、同所、同社長)と(株)ニコニコドーロジテック(資本金1000万円、同所、代表富田謙一氏)の2社も、同日に民事再生手続き開始を申請した。
 負債は、(株)ニコニコ堂が約975億円、九州都市開発(株)が約259億円、(株)ニコニコドーロジテックが約52億円で、3社合計では約1286億円。
 今年に入っての上場企業の倒産は、日産建設(株)(P12掲載、負債約1146億5700万円、東京都、3月更生法、東証1部上場)に次いで13社目。

~解説~

メーンバンクの比重が低く
 私的整理ガイドラインがまとまらず

 九州で(株)壽屋(熊本市)とともに注目されていたニコニコ堂が、ついに力尽きた。昨年から次々に出した再建計画はいずれも金融機関の合意を得ることができず、昨年12月に民事再生手続き開始を申請した壽屋が今年2月に全店休業したことも、同社の「神風」にはならなかった。

銀行は後発事象として処理へ

「4月15日までなら3月決算の後発事象として処理できる」。
 3月下旬、ある銀行関係者は一般論と断ったうえでこう話した。もちろん、3月中に再建計画がまとまりそうになかったニコニコ堂を意識しての発言だった。銀行にとって3月期はまだ終わっていなかったのだ。そして4月9日、小口決済日である10日の前日という「普通の日」に、ニコニコ堂は民事再生手続き開始の道を選んだ。
 実際、ニコニコ堂の再建計画要請は二転三転した。まず、2001年3月決算を前に、債務超過を解消するために取引金融機関に対して資本増強を要請、これが一部金融機関の反対に合うと、昨年秋には約350億円の債権放棄を要請、今年3月にはその債権放棄をもとに①不採算店舗の最大10店閉鎖、②早期退職者募集で従業員100人を削減などの再建計画の原案をまとめて、私的整理ガイドラインの枠組みでの処理を目指した。
 ニコニコ堂にとって、メーンバンクである福岡シティ銀行の融資比率が低かったことが致命的だった。2001年12月末現在の長短借入金は710億2300万円。福岡シティ銀行はこのうち149億3900万円と21%にすぎない。
 しかも残る上位3行は日本興業銀行(現みずほグループ)と農林中央金庫、住友信託銀行で、地場銀行ではない。
 九州で唯一、3月に私的整理ガイドラインがまとまった百貨店、(株)岩田屋(福岡市)の場合とは大きく異なった。同社は合計で35%を占めた富士銀行(現みずほグループ)と福岡銀行が、取引金融機関の調整でリーダーシップを存分に発揮した。

壽屋休業も追い風にならず

 期待された壽屋の全店休業も、ニコニコ堂の「神風」にはならなかった。九州経済産業局がまとめた九州・沖縄地区の2月の大型店販売動向(売り場面積1500平米以上の店舗を対象)によると、熊本県が前年同月比29.5%減、宮崎県が同24.5%減、佐賀県が同16%減など、壽屋の大型店の売上高が占める割合が大きかった県で落ち込みが目立ち、「壽屋の買い物客が小規模店に流れた」(同経産局)。
 中国事業での失敗に端を発した同社の経営不振だったが、デフレ経済の進行と金融機関の不良債権の最終処理が倒産を早めた構図は、ほかの大手流通業と変わらない。デフレスパイラルが止まらない限り、固定資本が大きい装置産業としての大手小売業の苦境は今後も続くに違いない。