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TDBの歴史

創業1900年、TDBが歩んできた道を紹介します。

1.創業時の苦難 〜 信用調査が認知されていなかった時代の奮闘

今からさかのぼること100年以上前。
「信用調査事業はまだ世間でも認められていないから、個人でやるのは無理だ。悪いことは言わん。やめたまえ」
財界の巨頭・渋沢栄一は、こう言って後藤武夫からの援助の申し入れを断りました。1900年(明治33年)3月に創業者である後藤武夫が帝国興信所を興したときのエピソードです。

当時日本の信用調査機関は、渋沢自身が中心となっていた東京興信所(1896年創業)と大阪にあった商業興信所(1892年創業)の2社だけ。信用調査自体が世間ではほとんど認知されていなかった時代です。後に渋沢は、健全な経済活動の維持に不可欠な信用調査事業を独力で起業した武夫の信念に理解を示し、賛同者の1人として会報に名を連ねることになりますが、個人で始めるにはまだまだ未知数の事業でした。

武夫は軒並み大銀行を訪問し、信用調査の必要性を説いて回りました。しかし高邁な理想だけで事業は成り立たたず、当初は全くと言っていいほど調査の依頼は入りませんでした。むしろ出版物の方が認知されており、月刊経済専門誌『帝国経済雑誌』の広告収入が帝国興信所の創業期を支えていたのです。

1900年 明治33年
後藤武夫
帝国興信所 創業

明治33年3月、後藤武夫は、東京市京橋区南鍛冶町1番地に帝国データバンクの前身である「帝国興信社」を創業。
帝国経済雑誌発行
後藤武夫は創業後まもなく、経済専門誌『帝国経済雑誌』を発行、それによって経営を軌道に乗せました。写真は東京大学の明治新聞雑誌文庫に保管されていた明治35年発行分の雑誌。
1900年 明治33年

後藤武夫
帝国興信所 創業

明治33年3月、後藤武夫は、東京市京橋区南鍛冶町1番地に帝国データバンクの前身である「帝国興信社」を創業。

2.契機は日露戦争後の企業設立ブーム

厳しい状況が好転するのは日露戦争(1904〜05年)後のこと。戦勝景気に沸き立った経済界で企業設立ブームが起り、信用調査のニーズが発生し始めたのです。帝国興信所に対する調査依頼は急増、ようやく事業は軌道に乗り始めました。
その後、順調に業績は伸び、1906年(明治39年)、横浜と大阪に支所を開設したのを皮切りに全国各地に拠点を展開。その一方で『帝国興信所内報(現・帝国タイムス)』『帝国銀行会社要録(現・帝国データバンク会社年鑑)』などの出版物を創刊しました。この時期にTDBとしての基礎が築かれたのです。
1923年(大正12年)に発生した関東大震災の際には本社社屋が倒壊するという事態に見舞われたものの、3年後の1926年(大正15年)には国内外の事業所網を54カ所まで伸ばし、帝国興信所はついに業界NO.1の地位を築き上げたのです。

しかし、第二次世界大戦の敗戦(1945年)では帝国興信所も例外なく影響を受けました。国内29カ所の事業所が焼失し、海外の事業所はすべて閉鎖されたのです。二代目社長・後藤勇夫は、戦後を文字通りゼロからのスタートを強いられました。

1926年 大正15年

新富町に完成した新社屋
関東大震災後に移転新築した東京・新富町の新社屋。4階会議室「至誠堂」は一般の人にも開放し、公演や映画・演劇を行いました。

1926年 大正15年

新富町に完成した新社屋
関東大震災後に移転新築した東京・新富町の新社屋。4階会議室「至誠堂」は一般の人にも開放し、公演や映画・演劇を行いました。

3.いち早くコンピュータを導入

帝国興信所の復興に尽力した勇夫の跡を継いだ三代目社長・後藤義夫は、調査機関に必要不可欠な全国ネットワークの再建と組織の近代化を精力的に推し進めました。なかでも今日のTDBを形づくる大きなきっかけとなったのは、1968年(昭和43年)の業界に先駆けたコンピュータの導入です。

当初の導入の目的は、経理処理などの事務の合理化でした。しかし義夫は、コンピュータを使って既存の調査
報告書のストックをほかの形で活用する方法はないだろうかと思い巡らせていたのです。

確かに調査報告書は50音順に整理され、企業名では検索できるように整備されていたものの、地域別、売上高別といった検索はできませんでした。しかしマーケティングや市場調査のための資料として、さまざまな条件でのデータ抽出の依頼が増え続けていたのです。

1968年 昭和43年

業界に先駆けてコンピュータ導入
TDB事業拡大のきっかけとなりました。

1968年 昭和43年

業界に先駆けてコンピュータ導入
TDB事業拡大のきっかけとなりました。

4.データベース「COSMOS」のサービス開始

こうした依頼に対応するため、コンピュータの活用方法が模索され始めました。まず、TDBが目指したのは、1企業に1つの企業コードを付与し、各項目をそのコードに紐づけてデータベース化することでした。

さらに1972年(昭和47年)には日本長期信用銀行(現・新生銀行)からのタイアップの申し出を受け、「COSMOS1」という企業財務のデータベース化に成功。当時から上場企業の財務諸表のデータベースを保有していた長銀は、TDBの未上場企業のデータに強い魅力を感じていました。続いて企業概要をデータベース化した「COSMOS2」も完成。これらのデータベースは1974年(昭和49年)にサービスが開始されました。TDBは新たにデータベース事業を展開することになったのです。

しかしこのころコンピュータの文字データはカタカナが主流で、読みにくく、使いづらいものでした。そこでより利便性を高めるため、データベースの漢字化が進められました。1979年(昭和54年)、文字データベースの漢字化が達成され、TDBのデータが大手企業だけでなく、一般企業へも普及。「COSMOS」の利用価値が幅広く認知されていくきっかけとなりました。そして1981年(昭和56年)に社名を「帝国データバンク」に変更。名実ともに総合的な情報サービス企業への道を歩むことになるのです。

1974年 昭和49年

COSMOSのサービス開始
膨大な企業情報をデータベース化し、顧客のニーズに合わせた「COSMOS」サービスを開始。 企業財務情報の「COSMOS1」、企業概要情報の「COSMOS2」などが商品化されました。

1974年 昭和49年

COSMOSのサービス開始
膨大な企業情報をデータベース化し、顧客のニーズに合わせた「COSMOS」サービスを開始。 企業財務情報の「COSMOS1」、企業概要情報の「COSMOS2」などが商品化されました。

5.COSMOSNETの開始 〜 現在

TDBの年間調査件数が100万件を突破した1988年(昭和63年)には、オンライン企業情報サービス「COSMOSNET」を開始。今までペーパーベースでしか見られなかった情報が、手許のパソコンで手軽にアクセスできるようになりました。

これによりお客さまの利便性が一挙に向上するとともに、高度情報化社会へのネットワークサービスの可能性を切り開いたのです。「COSMOSNET」の開始はTDBにとって大きな転換期だったと言えます。

さらに1990年(平成2年)、総合マーケティングサービス「ATTACK」が開始されました。これにより既存の信用調査やデータベース「COSMOS」では対応できなかった依頼に対して、オーダーメイドで対応することが可能となったのです。

1992年(平成4年)にはアメリカニューヨーク州に帝国データバンクアメリカを設立、戦後初めて海外に拠点を持ち、ワールドワイドな事業を展開するに至っています。

またデータベース「COSMOS」も着実に進化を続けました。「COSMOS2」の収録件数は増え続け、1994年(平成6年)には遂に100万社を突破した。さらに4代目社長に後藤信夫が就任した1998年には調査報告書「CCR=Corporate Credit Report」のデータベース化に着手、2003年(平成15年)に102万社全件の収録を実現しました。

さらに、蓄積されたCCRの情報や決算書などをもとに構築した統計モデルによって算出されるリスク管理の新たな指標「倒産予測値」の提供を2001年(平成13年)から開始しました。

1999年(平成11年)には電子商取引(EC)サポート事業に本格参入、「COSMOSNET/EC」を開始しました。これはTDBが電子認証局としてインターネット上のビジネスにおける安全な商取引空間を実現するという、新しい可能性を秘めた事業です。2001年(平成13年)10月から開始された国土交通省の公共事業電子入札システムでも電子認証局業務を受託しています。

より多くのお客さまにTDBの企業情報をご利用いただくために、HP上で個人向けに企業情報を提供するサービス「TDB会社情報」も開始。さらには、携帯電話での情報提供も行っています。

このようにTDBは事業領域を拡大し、さまざまなサービスを展開しています。しかしTDBの基幹業務が企業信用調査であることに変わりはありません。すべてのTDBのサービスは、創業以来、「現地現認」に基づく地道な調査活動があるからこそ実現しているのです。

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